「赤」と「黄」の対決構図に変化 ~ピター党首はオバマになれるか~

「赤」と「黄」の対決構図に変化 ~ピター党首はオバマになれるか~

公開日 2023.05.23

14日に行われたタイ下院総選挙は革新系野党の「前進党」が第1党に躍り出るという驚くべき結果だった。取材記者としては基本は経済担当で、タイ政治の直接の取材経験は少ないが、前回総選挙で前進党の前身「新未来党」の躍進、その後のタナトーン党首の議員はく奪と同党解党という経緯を目の当たりにした時は、戦後日本の、一応民主国家で育った筆者は驚くしかなかった。

首相選出には下院議員500人だけでなく、軍政下で任命された親軍派の上院議員250人の合計750人の投票で行われるため、前進党と今回は第2党に甘んじたタクシン元首相派のタイ貢献党という下院では過半数を上回る2党だけでは前進党のピター党首を首相に選出することはできない。7月に想定されている首相指名まで大どんでん返しの可能性も含め、どのようなストーリーになるのか全く予想できない。それでも、「赤シャツ」と呼ばれるタクシン元首相派と「黄シャツ」の王党派の対決構図だけで説明されてきた近年のタイの政治社会構造は、世代交代とともに着実に変化しつつあることだけは確かだろう。

前進党と新未来党

今回の総選挙結果で最も驚いたのは、バンコク都の33の小選挙区のうち前進党が32の選挙区を制し、圧勝したことだった。都市部で革新政党が優位なのは日本などでもよくある話だろうが、実質的な結党からわずか3年でしかない新党が首都でほぼ完勝するという事態は世界的にも珍しいのではないか。前進党の前身である新未来党の解党、政界からのタナトーン氏の追放に反発した学生を中心とする反政府運動が武力で鎮圧される中で、タイ政治に幻滅し、新未来党の後継である前進党とピター党首のことをほとんどフォローしてこなかったことを記者として改めて反省するしかない。

前進党の予想外の勝利後、ユーチューブでピター党首が出ている動画が一気に増えたことで、ようやくピター氏がどのような人かを知るようになった。若干42歳。さわやかなイケメンで弁もたち、大衆人気が一気に高まったのも良く分かる。それ以上に驚いたのは外国メディアのインタビューにほぼネーティブの英語で流暢に答える姿だ。タイ名門タマサート大学卒業後、米ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学で修士号を取得したエリートだが、中高でニュージーランドに留学していたことを知り、英語の流暢さの理由を理解した。ピター氏の登場は、筆者が2018年当時目撃した、米シカゴで新人下院議員のオバマ氏が、「チェンジ」を合言葉に市民を熱狂させ一気に大統領まで駆け上がるさまをほうふつとさせる。

筆者がバンコクに赴任してほぼ1年後の2019年3月の前回総選挙を見守ることになった。この時は反軍政を主張していた新未来党が予想以上に躍進し、第3党に躍り出た。たまたまその前にタナトーン党首の講演会を企画・実行しただけに感慨深く、タイの新時代の到来を予感させるものだった。しかし、その後、タイ憲法裁判所がタナトーン氏の議員資格をはく奪、新未来党の解党命令を出すというほぼ理解不能の展開となり、その後の反政府運動につながった。2020年3月には新未来党の議員が前進党に合流し、同党が事実上の後継政党となり暫定党首にピター氏が就任した。既得権益層に抹殺された旧新未来党のメンバーや学生など反軍政派のあきらめない気持ちが今回の総選挙結果につながったのは間違いない。

ソムキット派とタイランド4.0の今後は

今回の総選挙にいたる動きの中で気になっていたのは、タイの日系企業社会で最も有名人で、タイ経済運営のブレーンだったソムキット元副首相とそのチームの動向だった。ソムキット氏はプラユット政権では経済チームのリーダーとして「タイランド4.0」をけん引し、知日派として「日タイ蜜月関係」を体現、経済ニュースでは常にスポットライトを浴びていた。その後、2019年3月の前回総選挙をにらんだ国民国家の力党結成ではソムキット氏の弟子のウッタマ氏が党首、同じくソンティラット氏が幹事長に就任。同党の表看板として担がれ、プラユット新政権発足ではそれぞれ財務相、エネルギー相の要職に横滑りした。

しかし、2020年7月には両氏や「タイランド4.0」戦略そして「バイオ・循環型・グリーン(BCG)」経済モデルを発案したとされるスウィット氏(元高等教育・科学・研究・技術革新相)らソムキットチームはもともと学者であり、政治的調整力が弱いと批判される中で、国民国家の力党の内紛で追い出される形で離党、閣僚も辞任した。ソムキット氏の副首相の辞任とともに、内閣からソムキット派は一掃されることになった。

その後、ソムキットチームは政治活動を控えていたようだが、2022年1月に新党・タイ未来構築党を結成。党首にウッタマ氏、幹事長にソンティラット氏が就き、ソムキット氏を首相候補として次期総選挙に臨む予定だった。しかし、他党との合流工作などが不調で、人気が低迷する中で今年1月になってウッタマ氏とソンティラット氏は古巣の国民国家の力党に再合流することになった。ソムキット氏の動向は不明だが、一度はタイの経済政策を支えてきたソムキットチームが今回の総選挙で復帰した国民国家の力党が大敗したことをどう受け止めているのかが気になるところだ。

前進党とタイ貢献党は「水と油」?

前進党が第1党になったとはいえ、軍政下で任命された上院議員250人の大半がピター党首の首相指名に応じない場合、前進党の首班内閣の成立は難しい。しかし、国民国家の力党など親軍政党やタイ誇り党などの現与党勢力に上院議員のほぼすべてを集めて首相指名を行った場合、さすがに一般国民の親軍派や王党派への不信感がさらに強まるだけだろう。前回総選挙では新未来党が躍進したものの、下院の第3党でしかなく、既得権益層によって簡単に潰された後、新型コロナウイルス流行もあり反政府運動は完遂できなかった。それでもあきらめなかった旧新未来党と前進党の支持者らの頑張りを高く評価すべきだし、今回の結果には、こうした民主派の粘り強い活動が多くの国民の支持を得ていたこと、そして王政改革、真の民主化が必要なことが国民の認識として浸透しつつあることが反映されているのだろう。しかし、それは1人当たり国内総生産(GDP)などで既に先進国の水準に近付いているバンコク首都圏だけなのか。今回、タイ貢献党の地盤のひとつであるチェンマイなどの北部でも前進党がタイ貢献党に肉薄した意味は何か。

今回、第3党となったタイ誇り党の地盤の東北部ブリラムに出張した際に感じた旧来の地元への利益誘導型の政治は、タイの地方部ではまだまだ強固だろう。今は野党とはいえ貧しい東北部を最大の地盤とするタイ貢献党の大衆迎合、バラマキ的な体質と、豊かな都市部の知識層が主体となっていると思われる前進党の体質は「水と油」ではないのかと指摘する向きもある。

バンコク市内を歩いて富裕層が住む広大な高級住宅街を見ていると、これも、軍部・王室や大手財閥とは違うレベルの既得権益層なのだろうと思う。豊かな家庭に生まれ、中学から海外留学をしてきたエリート層のピター党首が実際に政権を取った場合、タイ貢献党とともにどのような方向で貧富の格差問題に取り組むのか。既得権益層の支配が今後もずっと続いた場合には、タイが中所得国の罠を抜け出すのは困難だろうと感じていたが、今回の前進党の勝利で、タイ政治に真の民主化がようやく浸透し始め、所得格差の本格是正の兆しも出てくるのか。清新なイメージがオバマ元米大統領とも少しダブるピター氏の手腕を見守りたいところだ。

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TJRI Editor-in-Chief

増田 篤

一橋大学卒業後、時事通信社に入社し、証券部配属。徳島支局を経て、英国金融雑誌に転職。時事通信社復職後、商況部、外国経済部などを経て、2005年から4年間シカゴ特派員。その後、デジタル農業誌Agrioを創刊、4年間編集長を務める。2018年3月から21年末まで泰国時事通信社社長兼編集長としてバンコク駐在。TJRIプロジェクトに賛同し、時事通信社退職後、再び渡タイし2022年5月にmediatorに加入。

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