タイでもにわかに注目される「水素」

タイでもにわかに注目される「水素」

公開日 2022.11.22

先週後半、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の会場となったバンコク都心にあるクイーンシリキット国際会議場(QSNCC)周辺の道路は封鎖され、おびただしい数の警官が動員され警備にあたっていた。QSNCC最寄りの地下鉄MRTの駅が閉鎖されたため、BTSアソーク駅とQSNCCを往復する臨時シャトルバスに乗り込んだ。

このバスは、再生可能エネルギーから、電気自動車(EV)、そしてバッテリー生産と次々に新産業への参入を続け注目を集めるタイ企業エナジー・アブソリュート製の電動バスであることを後で知った。APEC会場で開催されていたタイ大手企業の展示スペースに、そのバスが展示されていたためだ。

APEC会場で展示されていたエナジー・アブソリュート製の電動バス = 11月17日、バンコク

最近、バンコクで開催される展示会や会議などのイベントの大半はサステナブルをテーマとし、EV、再エネ、脱炭素ビジネスの紹介ばかりだ。そんな中で、タイでも最近にわかに注目されるようになっているのが「水素」だ。

タイ企業も水素に注目

「BIGの水素は環境に優しい製造技術を使ったクリーンエネルギーだ。BIGは将来、タイ国内の主要組織と連携し、低炭素・炭素フリーの水素を開発する計画だ」と強調するのは、米産業ガス大手エア・プロダクツ傘下のバンコク・インダストリアル・ガス(BIG)のピヤブット社長だ。同社はTJRIニュースレター前号のNEWS PICK UPでも紹介した、タイ初の水素ステーションを開設した企業連合の1社。同連合はBIGのほかタイ国トヨタ自動車(TMT)、国営タイ石油会社(PTT)、PTT傘下で給油所などを展開するPTTオイル・アンド・リテール(PTTOR)というタイの自動車、エネルギー最大手が参加しており、タイでも注目の経済ニュースとなった。

そして今号のFeatureで紹介したPTTで新規事業開発を担当するシャーン執行副社長インタビューでも水素の話が出た。インタビューは11月9日で、タイ初の水素ステーション開設の発表の翌日だった。そもそも、筆者のタイ経済取材を始めた4年半前にはEVはすでに大きなテーマとなりつつあったが、取材で「水素」という言葉を聞くことは多分ほとんどなかった。一方、日本では過去20年以上、水素は未来のエネルギー源として地道に研究開発が続けられていた。

水素技術で先行した日本

今年10月6日、タイ工業連盟(FTI)事務所内である勉強会が開かれた。テーマは「海外での水素技術の導入」で、日本の経済産業省のアレンジでFTIの担当者などに水素技術の最先端をレクチャーするとの趣旨だった。講師は長年、水素エネルギーの実用化をけん引してきた研究者の一人である東京大学先端科学技術研究センターの河野龍興教授だ。

河野教授は「日本での水素の歴史は極めて長い。古くは『WE-NET (World Energy Network)』というビッグプロジェクトが1993年から2002年にかけて行われた。これは、カナダの水力発電による再生可能エネルギーを使って水素を生産、これを液体水素(LH2)タンカーで日本に運んで、貯蔵して利用するという国際プロジェクトだった。水素を利用するアプリケーションは、水素飛行機、水素輸送タンカー、水素自動車などを想定していた」と説明。この構想は、当時はまだ早すぎたが、20年を経て実現しつつあると感慨深げだ。

そして2005年に日本発の技術で商品化されたニッケル水素電池「eneloop(エネループ)」では、同教授が発明した水素吸蔵合金「La-Mg-Ni系合金」(超格子合金)がコア技術になっているという。この合金は液体水素よりも高い密度で水素を貯蔵でき、長期間、安全に水素をためられるのが特徴で、この技術を使ったニッケル水素電池は現在、ハイブリッド車に搭載されるなど世界中に広がっている。そもそも、水素エネルギーシステムとは、水を電気分解して水素を製造、その水素を水素吸蔵合金に貯蔵して利用するというもの。河野教授は、これらの各ステップを装置化して大型化すればより効率の高いものになると指摘。その実現の重要な鍵を握るのは再生可能エネルギーの普及だとしている。

改めて自動車のエネルギー源の未来

河野教授は今回の講演で、水素エネルギーの主なアプリケーション先はモビリティー分野であり、特に大型トラック、列車、飛行機など「ヘビーデューティー」分野が最も適しているとし、欧州での実用化の最新動向を紹介した。水素がヘビーデューティー分野で適している理由については、水素と蓄電池のエネルギー密度の違いから説明。

『水素と蓄電池のエネルギー密度』出所:河野龍興教授の講演資料

リチウムイオンなどの蓄電池は重量当たり、体積当たりのエネルギー密度が低い一方で、高圧に圧縮された水素や天然ガス、あるいは水素吸蔵合金に吸蔵された水素はエネルギー密度が極めて高く、大型貯蔵タンクを搭載する事が可能な大型の長距離輸送キャリアーの燃料には最適となるという。

このため同教授は「小型車はバッテリーシステムが良く、バス、トラック、列車、将来の飛行機には水素技術を使う必要があるだろう」と強調。その上で、欧州水素燃料電池協会(Hydrogen Europe)のデータを引用する形で、バッテリー電気自動車(BEV)、燃料電池車(バス、トラックを含むFCEV)、燃料電池列車、バイオ燃料・合成燃料を燃料とする船舶・航空機について、重量、距離を基準にそれぞれ適したエネルギー源が何かを示すマトリックスも紹介した。

『各輸送キャリアに適したエネルギー源』出所:河野龍興教授の講演資料(原典はHydrogen Europeのデータ)

温室効果ガス削減が世界的課題となる中で、電力源の大半を石炭、天然ガスという化石燃料に頼るタイも、昨年11月の英グラスゴーでの国連気候変動枠組み条約の第26回締約国会議(COP26)で、プラユット首相が2050年に「カーボンニュートラル」、2065年までに「ネット・ゼロ・エミッション」の達成を目指すという野心的な目標を公約。それ以後、化石燃料脱却、再生可能エネルギーへのシフトへの官民挙げた取り組みが始まった。

そして今回のアジア太平洋経済協力会議(APEC)の関連会合でプラユット首相は、「タイは近い将来、世界最大のEV生産拠点の一つになる」と表明した。TJRIニュースレターではこれまでに何度も、自動車生産拠点としてのタイの将来図における内燃機関(ICE)車とEVのせめぎあいを取り上げてきた。その中ではタイを世界のICEの輸出拠点にしてはとの考えも浮上している。しかし、タイ政府は今のところEVシフトに突き進もうとしているようにも見える。ある自動車業界関係者はその背景に、タイ政府関係者への中国の影響力があるのではと推測する。ICE とEVの競合に将来、FCEVも加わることもあるのか。タイでは圧倒的なシェアを占めてきた日系メーカーと、新規参入が相次ぎ着実にシェアを伸ばしつつある中国系メーカーとの攻防はこれからが本番だ。

THAIBIZ Chief News Editor

増田 篤

一橋大学卒業後、時事通信社に入社。証券部配、徳島支局を経て、英国金融雑誌に転職。時事通信社復職後、商況部、外国経済部、シカゴ特派員など務めるほか、編集長としてデジタル農業誌Agrioを創刊。2018年3月から2021年末まで泰国時事通信社社長兼編集長としてバンコク駐在。2022年5月にMediatorに加入。

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