ライフスタイルが多様化するタイのお客様に本物の日本を ~サイアム髙島屋・奥森淳誌社長~

ライフスタイルが多様化するタイのお客様に本物の日本を ~サイアム髙島屋・奥森淳誌社長~

公開日 2024.02.05

2020年3月に伊勢丹バンコク店、2021年1月にはバンコク東急百貨店と日本のデパートの相次ぐ撤退は、タイ・バンコクの日本人社会にインパクトを与えた。そうした中で、2018年11月に不動産・小売り大手サイアム・ピワットと大手財閥チャロン・ポカパン(CP)グループ傘下のマグノリア・クオリティー・デベロップメント・コーポレーション(MQDC)がチャオプラヤ川沿いで共同開発した大型複合施設「アイコン・サイアム」内に出店したのがサイアム髙島屋だ。髙島屋はサイアム・ピワットとの合弁の形でタイに初進出したが、開店の約1年2カ月後には新型コロナウイルス感染拡大に見舞われ、苦闘を続けた。

しかし、昨年10月3日配信のサイアム・ピワットのチャダティップ最高経営責任者(CEO)のインタビュー記事でも紹介されているように、コロナ終息後の業績はコロナ前を上回る回復ぶりだという。2022年1月にサイアム髙島屋の社長に就任した奥森淳誌氏に、主にコロナ後の事業戦略などについて話を聞いた。
(インタビューは1月19日、聞き手:mediator ガンタトーンCEOとTJRI編集部)

mediatorのガンタトーンCEO(左)、サイアム高島屋の奥森社長(右)
mediatorのガンタトーンCEO(左)、サイアム髙島屋の奥森社長(右)

2021年以後、3年連続の増収増益

Q. 開店後、コロナ禍を経て業績、来店客数はどのように推移してきたか

奥森社長:サイアム髙島屋はアイコン・サイアムのアンカーテナントとして、 2018年11月にオープンし、昨年11月に5周年を迎えた。その間、2020年3~4月ぐらいからコロナ流行が本格的し、食品以外が販売できないロックダウン状態となり、厳しい2年間が続いた。しかし、2022年からアイコン・サイアムとともに、髙島屋の売上高、営業成績も劇的に好転して、コロナ前を上回る勢いとなった。2023年も2022年を上回り、2021年から3年連続で増収増益だ。来店客数もコロナ前と比較して1.3~1.5倍だ。売上高もほぼ比例している。

Q. 厳しい時期に、タイ側のパートナーがいたメリットとは何か

奥森社長:タイ政府の法規制の情報がパートナーから正しく、スピーディーに伝わってくるので、法規制を順守することができる。コロナ禍の中でも、必要な需要に関するマーケットなどの情報も共有できた。

タイ人の消費力高まる

サイアム高島屋の奥森社長インタビューの様子01

Q. サイアム髙島屋の顧客層は、立地をどう考える

奥森社長:サイアム髙島屋は8割以上がローカルのお客様で、主にチャオプラヤ川の西側に住んでいる方にリピートしていただいている。バンコクの東側、北側、中心部から日本のものを求めてこられるお客様もいる。一方、日本人が住んでいるのはスクンビット周辺なので少し遠い。車だと1時間以上かかり、BTSでも2回乗り換えなければならない。ただ、週末にご家族連れで来ていただけるお客様は多い。日本のお客様に対し、物理的な距離を埋める価値提供にさらに取り組んでいく。

サイアム・ピワットは「iconicな場所を作る」ということでこの地を選んだ。チャオプラヤ川は顧客の心理的境界で、交通の利便性もボトルネックになる。一方で、昨年末にはCNNによる「世界で必ず訪れたいカウントダウン」のランキング上位にも選ばれるなど観光客が訪れるロケーションになった。私たちはその中で、日本の文化を伝えるとともに日本の商品を提供しつつ、インターナショナルやタイのローカルもうまく組み合わせている。今、コンドミニアムの開発もあり、どんどん人が川を越えて西側に増えてきている。リバーサイドはまだまだポテンシャルのあるマーケットではないかと思っている。

今、タイのお客様の消費力が高まっていて、所得に関わらず多くの層が来店し、カードメンバー、固定客になって支えていただいている。タイは国内総生産(GDP)も成長しており、賃金も上がっていて、消費に対しては積極的だ。「ブリーフィング」や、「スノーピーク」、「スナイデル」などのブランドもファン層が広がって、親子2世代のお客様も一緒に洋服選びを楽んでいる。

食を楽しみ、そしてアウトドアも

Q. コロナ流行で消費者の行動はどう変化したか

奥森社長:例えばタイに暮らす人々の食生活が変わった。もともと外食やテークアウト中心の食生活だったが、当社では日本のお寿司や日本食を持ち帰っていただくという「中食」がシェアを伸ばした。さらに家庭で調理する「内食」も増え、調理家電やキッチンウエアの販売が増えた。コロナ禍で明らかにさまざまな形で食を楽しむライフスタイルになった。

さらにレジャーが変わった。密を避けなければいけないので、タイでも外に出るアウトドアが人気となり、キャンプやグランピングを楽しむ新たなライフスタイルがブームになった。当社は日本のアウトドアブランドも輸入しているので、そのブランドが大きく伸びた。

Q. 髙島屋の品ぞろえ、現在の人気商品は

サイアム高島屋の奥森社長インタビューの様子02

奥森社長:まず、ブランドの数がオープン当初から3倍強に増えた。3分の1が日本ブランド、3分の1がインターナショナル・ブランド、3分の1がローカルのタイ・ブランドだ。いろいろな商品が1カ所で買えるというワンストップショッピングがデパートの一番の強みであり、そこに訪れ、選ぶ楽しさを提供している。髙島屋へのイメージ、求められるのはやはり日本らしさだ。日本に行かなくても、タイで日本の本格的なものが楽しめることを大切にしている。

さらに、プライス戦略も重要な鍵である。内外価格差を縮めて販売できるよう、食料品や婦人服、バッグ、靴、ゴルフ用品など、エクスクルーシブで販売している一部のブランドは、自社で輸入して、自社で販売するビジネスモデルにも取り組んでいる。

Q. どのフロアの商品の販売が好調か

奥森社長:日本と比較して日本食、スーパーマーケットのイートイン、レストランといった食品のシェアが高い。お寿司を買う観光客が増えてきたので、より手に取りやすいような場所にリロケーションした。また、「北海道どさんこプラザ」は開業時から続いている。北海道と髙島屋は包括連携協定を結び、1951年から70年以上北海道物産展を開催しており、バンコクも1つの象徴的な取り組みになっている。その他は化粧品や婦人服など。一昨年から、アウトドアとともにスポーツの売り場も広げた。

タイ小売りの強みと日本クオリティー

Q. アイコン・サイアムとの役割分担は

奥森社長:アイコン・サイアムとはビジネスパートナーで、相互補完関係にある。アイコン・サイアム側ではラグジュアリーや「スックサイアム」のような海外旅行者向けのコンテンツでお客様にタイならではを味わってもらう。一方、髙島屋では日本に行かなくても日本を感じることができる。品質はもちろん、私たちはサービスにこだわり、日本クオリティのソフトを提供して、楽しい時間を過ごしてもらう。

Q. サイアム・ピワットと組んで何を学んだか。また、タイの小売も海外に進出したり元気な印象もあるが、タイの小売業界はどうなっていくと思うか

奥森社長:非常に競争環境が厳しいマーケットであり、各社が切磋琢磨しながらマーケットを育てているイメージだ。サイアム・ピワットの大型プロモーションでは、年末のカウントダウン、中国の旧正月、タイのソンクラン祭りやロイクラトンなど伝統文化を大切にして新しい要素、お客様が喜ぶエンターテイメント性、話題づくりも上手だ。

Q. 北海道以外の他の自治体のタイへの関心は

奥森社長:1/27~2/4には北海道、2/9~2/15には神奈川県とのイベントもあり、自治体が地域振興のために輸出して地元を盛り上げるというビジネスはこれからも増えるだろう。タイには7万人以上の日本人が暮らしていて、日本食も沢山あるので、まずはタイということでお声がけいただいている。そういう人のためのプラットフォームになりたい。買う場であり、売る場であり、作り手はタイのお客様の声を直接聞くことができる場となる。私たちはそのような舞台装置を提供していきたい。

日系デパートの流れを大切にする

Q. 伊勢丹や東急百貨店が撤退したことの影響はあったか

奥森社長:両社が撤退されたのはコロナの時期であり、特に大きな影響はなかったと考えられる。1964年に大丸さんが出店されて以来、会社、屋号が変われど、脈々と受け継いできた日系デパートの流れを大切にして、タイに暮らすお客様のウォンツに応えていきたい。

Q. 成長に向けた今後の戦略は

奥森社長:お客様の声を聴いて、お客様が求めることを実現するといういわゆるマーケットインだ。お客様が欲しいと言ったら自分たちで見つけてきて、サプライヤーやディストリビューターをつなぐ。昨年11月中旬に実施した開業5周年を記念した和菓子のイベントなどもまさにそうで、初開催した2022年11月と比べ規模も拡大した。

サイアム高島屋の奥森社長インタビューの様子03

タイのお客様への今後の戦略としては、日本の髙島屋と同様「まちづくり」をタイでも進めていく。また、いろいろなブランド、カテゴリーを広げ、選ぶ楽しさを増やし、館内の密度を濃くしていく。大切なのは、お客様一人ひとりにあったおもてなし、商品のご提案をすることで、リピート率を上げる「One to One」のアプローチだと考えている。 また、地域貢献も大変重要だと考えており、ESG活動にも力を入れている。昨年は100人以上の職員とミャンマーとの国境にある学校を訪問・慰労した。また、ピンクリボン運動で多くのお客様にマンモグラフィ検査の機会を提供した。

TJRI編集部

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